第四話:自然共生社会の実現に向けて/森林と日本 ~私たちにできること
春が近づくとひやま先生は毎年の「あれ」に悩まされます。授業中にくしゃみが止まらず、しゃべれなくなるのが怖いので薬で何とか症状を抑えていますが、なかなかつらいようです。こどもたちの中にも同じような症状の子が毎年増えてきています。そう、ひやま先生はスギ花粉症なのです。 今年も花粉すごいね。薬のおかげで何とか抑えているけど、目がかゆい・・・ 確かに花粉症の人は辛そうだね。この時期は特に林業にそんなに興味を持たない人でも、スギに対して複雑な感情を持つようだね。 なんでこんなにスギばっかり生えてるの? それは、日本の戦後の復興に大きく関係があるんだよ。 え?花粉症も山のチカラにつながるの? ははは、花粉症そのものが山のチカラといってしまうと、なんだか少し否定的にきこえるけど、まあ、たくさんスギが植えられている理由は、山のチカラに関係があるんだ。 どんな話?聞かせてくれる? いいよ。意外と知られていないんだけど、スギやヒノキは日本の固有種で大昔から天然林として存在していたんだ。日本の気候によく合うし、生育が早くまっすぐに育つので建築材料などに使いやすい。そこで、戦後の拡大造林でスギやヒノキが多く植えられたんだよ。 カクダイゾウリン?って何? 第二次世界大戦中や戦後の復興で木材需要が高まり、森林が多く伐採された。その結果、戦後から4年経った1949年の段階では全国で約2500万haあった森林のうち、150万haがはげ山になっていたらしい。そうすると台風なんかで土砂災害や水害が起きて、各地で大きな被害が出たんだ。それで、その対策として1950年から緊急ではげ山の再造林が国の主導で全国で始められた。これが戦後の拡大造林と呼ばれるものだよ。 150万ha?って、15,000平方キロメートルだよね?大きすぎてイメージできない・・・。どれぐらいだろう? 大体岩手県全体と同じぐらいかな。東京都だとざっくり7個分ぐらいに当たる。この面積を約6年で再造林したというから当時の復興への強い想いを感じるよね。 確かに、すごいパワーだね。スギが選ばれて大量に植えられた理由もわかったけど・・・。お父さんはいつも山に行っているのに、なんで花粉症じゃないの?都会より花粉がいっぱいあるところにいる気がするけど。 実は、逆なんだよ。山にあるのは花粉そのものなんだけどそのままだとあまり花粉症は発症はしない。都会に飛んできた方が発症するんだよ。 え⁉都会に来ると花粉って豹変するの? 豹変というか・・・。車や工場からの排気ガスと花粉がひっつくと花粉の中にあるアレルギー物質が飛び出してしまって、それが人の体内に入ると過敏に反応してしまうんだ。それに山だと花粉は落ち葉なんかの上に落ちたらそのままなんだけど、都会だと車が走ったり人が歩いたりしてアスファルトなどの地面に落ちた花粉が舞い上がってしまうのも、原因だろうね。 えー!そうなんだ。大気汚染、おそるべし! じゃあ、スギだけが悪者じゃないし、山に行ったら花粉症がひどくなることもなさそうね。実は、来月遠足があって山に行くのがちょっと憂鬱だったんだ。 ははは、今の人は大変だよね。私の若いころは、大気汚染はあったけど花粉症ってあんまり聞いたことがなかったんだ。今では、日本人の半分近くが発症してんだってね。 え?昔は、花粉症がなかった?拡大造林で植えたスギは、花粉を出さなかったってこと? そうだね、スギは植えて30年後ぐらいから本格的に花粉を出すようになるので、私の若いころは今のようには花粉が多くなかったんだよ。1980年代ぐらいからじゃないかな、花粉症という名前をよく耳にするようになったのは。 1980年より前に行きたい・・・。そういえば、こないだニュースで花粉の少ないスギの話をしてたけど、木が育つスピードを考えると、花粉が実際に少なくなるのは、ずーっと先のことになりそうね。ゆっくりと見守るのがよさそうだね。 確かに今は花粉症でつらい人が多いかもしれないけど、何十年も前に取組まれた拡大造林によって育った森は長い時間の中で、災害から国土を守り、建材や食料を生み出し、生き物のすみかを取り戻し、二酸化炭素吸収、酸素供給、水や空気の浄化などなど、多大なる恩恵を私たちに静かに与え続けてくれているんだ。 山や森ってただそこにあるものっていうイメージだったけど、めちゃくちゃ忙しそうだね。 山や森が忙しいと思っているかはさておき、多才だよね。私たちはそれを多面的機能という言葉で表したりする。このような多面的機能の働きを貨幣価値に換算すると一年でどのくらいになるのかを、日本学術会議が試算したここがあるんだけど、どれぐらいだと思う? え?全然見当がつかないけど・・・。1000億円ぐらい? いやいや、桁が違う、土砂崩れ洪水などの災害の抑制で43兆円、水をきれいにして蓄えるチカラで23兆円など、その他も併せると大体年間70兆円ぐらいになると発表されているんだよ。でもこれも計算できるものだけだし、25年ぐらい前の試算なので今だともっとすごい金額になると思うけどね。 なんだか林業って・・・、すごいね。花粉症が辛すぎてスギが全部なくなればいいのにって思ってたけど、なくなったら大変なことになることがよくわかったよ。知ることってほんとに大事なんだね。そしてお父さんの仕事のすごさがいっぱい分かってきた。 そこまで言われるとちょっと照れるなあ。でもせっかくなので、遠足に行く前にもう少し山のことを話していいかい。 もちろん!じゃあ、また明日聞かせてね。 森林の多面的機能と木で建てること ■イラスト協力 座二郎(ざじろう)
なんで、こんなにスギ花粉が激しいんだろう、いやになっちゃう。
お話の中で、桧山さんが言っていた多面的機能で見られるように、日本に暮らすわたしたちは実に多くの恵みを山や森林から享受しています。これまでのお話でご紹介したように、これらの恵みは土砂崩れや洪水といった災害を抑制したり、雨水をきれいにして蓄えたり、材料を供給したり、二酸化炭素を吸収して酸素を放出したりしているのに加えて、生き物のすみかとして多様な遺伝子を守ったり、私たちに心身の安らぎを与え、その土地ならではの様々な文化や伝統を育みます。ひやま先生が「山は忙しい」と思うのもうなずけますね。金額でも表現していたようにとてつもない金額です。
今回のお話で、使いすぎてはげ山になった山→拡大造林でたくさんの木を植える→育てていくうちに花粉が飛び始めるほどに成長という時代の流れをご紹介しましたが、現在の日本はさらにその次のステージに来ているようです。そう、人工林の多くは本格的な伐採期に入っているのです。つまり、使うために植えた木が何十年もの月日を経て十分に育ち「使う時」になったというわけです。では、もしこのまま育った木を使わずに放置するとどうなるでしょうか。木々は年をとることで二酸化炭素の吸収量が減り、幹回りが大きくなりすぎて伐り出せなくなり、地表が固くなり吸水力が低下してしまい災害抑制力も低下してしまいます。そうならないためには、人の手による適切な管理で山を健全な状態に保つことが欠かせないのです。最近、戸建て住宅だけでなく大規模なビルや学校等を木造で建てているのを見かけることが増えた背景には、こういったことがあるのです。つまり、大規模木造建築によって人工林の木をしっかりと使い、さらに次のステージ、つまり伐った後にまた植える、を促すためなのです。このようにして、一度人の手が入った山は、自然の力と人の力を合わせて持続可能にしていくことが不可欠なのです。そしてこの大きな持続可能な循環を俯瞰してみると、木で建てることは、その循環のエンジンになっているといえるでしょう。
このように、山や森林の持つチカラを存分に発揮してもらうために、桧山さんのような林業家の存在は大変重要であることが改めてわかりますね。次回はいよいよ最終回です。ここまでお話した山のチカラとわたしたちが暮らすまちのかかわりについて、もう少し桧山さんのお話が聞けそうです。どうぞお楽しみに。
2000年 早稲田大学理工学研究科建築学専攻修士課程修了
2000年~21年 前田建設設計部。通勤電車の中で漫画を描き始める。
2021年 独立。描く建築家。