人の森林利用の形 ~雑木林とはなにか~
「夏休みといえば雑木林でカブトムシ獲り」というイメージも、今やゲームや映画の世界の話になりかけていますね。「木で建ててみよう」では普段、木材として利用されるスギやヒノキの人工林をテーマにすることが多いですが、今回はもう一つの森林利用の形、「雑木林」について考えてみたいと思います。 雑木林の見つけ方 雑木林に行った記憶はありますか? 雑木林は「里山」とも意味が似ており、もともと人里近く、身近にあったものでした。田畑の近くの山裾や、裏山と呼ばれるような民家に近い低山に、雑木林はあります。森林公園などで意図的に雑木林として残されている林もあります。クヌギやコナラの木がたくさん生えていて、下草の刈ってある明るい林があれば、それが雑木林です。 地元民以外が散策しやすい場所としては、低山の登山道の入り口付近などが雑木林になっていることがあるので、探してみましょう。郊外の自然公園として残されていたりする場合もあります。 かつては身近なものだったはずが、看板や境界もなければ名前もついておらず、今の社会においては意外にも見つけにくい雑木林。原生林や鎮守の森などの手つかずの自然ではなく、人の生活と自然の境目にある存在としての雑木林は、実は今の社会では維持されづらい、貴重な存在になりつつあるのです。 雑木林の植生 雑木林はクヌギやコナラで構成されています。場所によっては、クリやカシワ、ヤマザクラが混ざっている場合もあります。木の密度は低く、照葉樹林や針葉樹林と比べても明るい林です。 雑木林は、杉やヒノキが立ち並ぶ針葉樹の人工林、常緑広葉樹が生い茂って鬱蒼としている照葉樹林とは違います。雑木林は本来、人の手によって維持管理されるものなので、生えている樹種はある程度限定されています。 今では、雑木林は本来の目的で利用されることがなくなっている場合がほとんどです。管理作業が行われなくなって、クヌギが大きく育ち、他の樹種も入り込んで鬱蒼とした、本来の植生に戻ろうとしている林も多くあります。竹が侵入して竹林のようになっているところも目立ちます。原生林と雑木林の見分けがつきにくくなっているのです。 雑木林の雑木林たる所以は、人が手を加えていることにあります。クヌギやコナラは15~30年おきに伐採され、炭や薪の原料として使われます。下草は3~5年おきに芝刈りが行われ、これも燃料になります。落ち葉もたい肥の原料として活用されます。 雑木はいっきに伐採される訳ではなく、成長段階に合わせて切られていきます。伐採されたクヌギやコナラの切り株からは、ひこばえと呼ばれる芽が出て、10~20年かけてまた大きな木へと再生します。定期的な伐採により木は大きく育たないため、上層が葉におおわれて林が暗くなるということもありません。下草刈りが行われるため、竹やマツなど、他の幼木が育つこともなく、林内は人に利用される一定の樹種のみに保たれています。 人が森林を資源として利用し、管理するからこそ雑木林が維持されるのです。 雑木林には、人が利用する資源を提供してくれる以外に、生態学的にも大きな役割を果たしています。実は、時間的にも空間的にも「中間」に保たれていることが、雑木林を生態学的に貴重なものにしています。 生物多様性 雑木林は生物多様性が豊かだと言われるのはなぜでしょうか。 それは、常に「不安定」な状態を保たれているからと言えます。通常、木や草の生えていない土地でも、放っておくとその地域の気候、環境に最も適応した生物群が残り生態系が安定した森林となります。生態学の言葉でその過程を「遷移」と呼び、最終的に残る安定した森林を「極相林」と言います。 雑木林は、人為的に伐採を行ったり下草刈りをすることで、様々な草木に光を届け生存のチャンスを与えています。 草木の多様性は、昆虫や動物の多様性にもつながります。オオムラサキやギフチョウ等の蝶類、カブトムシやクワガタムシなどの甲虫類は雑木林を生息地としています。下草刈りや間伐によってチョウ類の幼虫の餌となる食草や、成虫の餌となる蜜をつくる草花の生育が促され、雑木林の落葉によって作られるたい肥がカブトムシの幼虫の格好の住みかとなるなど、雑木林の維持管理活動がこれらの生き物の生息環境をつくっているのです。 このように雑木林には、人によって「極相林に至らない途中の状態」を保っているからこその生物多様性があります。 山と人里の緩衝地帯 雑木林は山と人里の間に位置しています。 深い山と民家の間にあることで、山の生き物が人里に近づきすぎないように、緩衝地帯としての働きをしています。山奥と人里の間に、人の気配のある山があることで、民家や田畑まで大型哺乳類が下りてきて、人といさかいを起こすようなことを防ぐことができます。 人にとっては資源の供給源であるだけでなく、自然と親しむ遊び場でもあります。子供たちが安全に遊べる林であり、カブトムシやクワガタムシがいます。下草の茂らない雑木林は歩きやすく、春の野草は目を楽しませてくれます。 かつては、手つかずの自然を保護して、人は都市に集まって住む、とはっきり分けてしまうことなく、その中間地帯として雑木林が存在していました。雑木林は、人と自然の関係を考えるときに、今失われつつある「適度な距離感」を象徴しているような気がします。 利用されるなくなる雑木林 戦後の数十年で、技術の進歩による生活環境の変化や、人々の価値観の変化により、日本の里山は大きく姿を変えました。いまや私たちは、雑木林からの恵みを全く必要としない生活を送っています。肥料としての下草や落ち葉も、燃料としての薪や炭も、ほとんど使いません。 人間への資源供給という価値を失った雑木林は、「人々の暮らしのすぐそばにある広大な土地」というだけで評価され、住宅地やレジャー施設、ゴルフ場、廃棄物処理場や墓地、資材置き場などへと姿を変えています。 放置される雑木林 かろうじて残された雑木林も、その多くは利用されることなく放置され、原生林へと戻ろうとしています。人が手を入れなくなると、雑木林は雑木林ではなくなります。一見すると立派なクヌギの大木が目立つ鬱蒼とした森は、もはやかつての輝きを放ってはくれません。林床を彩った草花の数々は、日陰に強い低木や幼木に取って代わられてしまいます。 かつては人にとって一番身近な自然としてあった雑木林は、今や貴重な存在になっています。人による管理を必要としている雑木林は、原生林以上に残していくのが難しい存在です。そういった意味では、維持していくために間伐や植林などの人の手が必要な、スギやヒノキの人工林とも似ています。 「自然」というと手つかずの原野や原生林をイメージしがちですが、今の地球の中で人と関わりのない自然環境はほとんどないと言えます。人は自然から隔てられたものではなく、人は自然の一部であり、古来より農業、漁業、林業という形で自然を利用しながら生きてきました。 経済合理的にみれば、雑木林はゆっくりと消えていくものかもしれません。日常生活に薪や炭を使わなくなった今、すべての雑木林を維持し続けるのは難しいでしょう。 しかし、炭や薪は利用されなくなったとしても、雑木林には生き物の生息環境としてや、人と自然の身近な接点として大きな価値があります。間伐材をシイタケの原木として活用し新たな名産品としたり、ウッドチップとしてバイオマス発電の燃料にしている地域もあります。 里山での人と自然との適度な関わり合いの中で保たれてきた雑木林。時代にあった新しい関わり方を見出し、活かす道を見つけていきたいものです。 参考URL ■https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201310/3.html雑木林とは何か
雑木林のつくられ方、使われ方
雑木林の役割
雑木林の今
まとめ
■https://watashinomori.jp/study/basic_02.html
■https://www.ffpri.affrc.go.jp/fsm/research/pubs/documents/hardwood.pdf
■https://life-info.link/zoukibayashi/
■https://www.pref.aichi.jp/soshiki/shizen/0000005797.html
■https://www.shinrin-ringyou.com/shinrin_seitai/seni.php
■https://www.woody-ashida.com/miscellaneous-trees/